数年前にMIDIの件で騒がれていた頃から言ってたんだけど、とうとう来たか。
今どきの攻略本て、ゲームと一緒に売ることを前提としているからね。
つまり、マッチポンプってやつだ。この方向性である限り、いつかは来る運命。
で、今回建前にしている
ナゾトキの楽しみを、ユーザー様ご自身の手で、味わったいただきたい
これね、スーファミ時代ぐらいまでは、実際こんなスタンスだったん。
当時のエニックスには"ゲーム発売後半年は攻略本を出さない"という伝説まであった。
だからこれが当時の話なら、かなり説得力があったりするん。
でも、今となっては通用しない言い訳。プレステ時代に入って"メディアミックス"なんて
言葉が流行り出した。これはゲームそのものだけじゃなくて、攻略本やらサントラやらも
含めて収益を追求しようという方針。だからマッチポンプ化したわけで。
さらに言うなれば、ゲーム自体の方向性も昔と変わっているから、攻略本もそれに
合わせて変わってきたという要素もある。
昔のゲームは仕組みが単純なぶんとっつきもよく、遊び方にも融通が利いてユーザが
思い思いの遊び方で臨めた。今みたいにわざわざ"やり込み要素"なんか用意しなくても
充分なほど奥深い。だから攻略本も今みたいな資料集ノリじゃなく、とことん遊び込んで
そのテクニックを披露するみたいな感じだった。
で、それがだんだん変わってきたのがファミコン後期ぐらいから。
そこで一番変化が大きかったのは、エンディングの意味なんですな。
今じゃ信じらんないほど、質素極まりないんですよ。真っ黒な画面に"congraturations!"
が出て終わりみたいな状態。こんなので何が面白いんだ!? …って思う人いるでしょ。
でも、当時のゲームはエンディングなんて比較的どーでもいいん。あくまで、ゲーム本体を
最大限に楽しんだ結果にすぎない。だから、あんなんで充分なんよ。達成感さえあれば。
で、そーゆー存在だったエンディングもRPGが発達するにつれ、様変わりしていく。
"単なる終わり"でしかなかったものが、"物語の終わり"としての意味を持つようになった。
これにより、ゲーム自体を楽しむという形態だったものが、エンディングまで到達することが
主目的という形へ変化していく。そりゃ、物語なんだから最後まで見たいよねぇ。
…てなわけで、攻略本もそれに併せた変化が求められた。
ゲームの途中過程よりも、エンディングへ到達できるように導くことを重点的に。
それまでは、RPGでもラスト近くの事項を伏せてあったりとか普通にあったかんね。
これも今じゃ見られない現象である。
【DSレイトン教授】「攻略サイトは即刻削除をお願いいたします」